なるべく簡単に

六月。六月に死ぬこと。すべてが破裂し、光り輝き、野には香りと葉がある時期に死ぬこと。六月に、誰もが沢山のマリーゴールドを引き抜き、棺に放り込める時期に死ぬこと。六月に大地の中に入ること……。そして骨が茎に、葉に変わって芽吹いていくのを感じること(人は何かを感じるものだとすれば)……。
六月に、また強烈なまばゆさの日々が来る前に、逃げること。不平を言う機会すらない日々。どこに身を置いても、いつも、また、気づまりな日々。
六月、そしてすべての花が彼女のからだの上に。そして誰もが花でいっぱいの彼女の後ろを列になって進む。そして彼女は、花の中で、もう皆のことを笑う。
「真っ白いスカンクたちの館」


馬鹿と馬鹿が交尾をして、とても簡単に誕生させられたのだから、死ぬのも簡単にできていいはずだと私はずっと思っていました。

きょう、帰りの道のりで車内からふと道路をみたら、白いまだほんの子猫が雨に打たれながらものすごい勢いで匍匐前進して渡っていった。もしかしたらどこかを引かれていたのかもしれない。顔はしかめつらだった。
死に際の最後の紅葉だったのか。毛は逆立ち、顔を引きずる勢いで。渡っていった。悲しかった。

とにかく、この世からはやめに立ち去るには、どうしたらいいのか、という問いばかりが頭に浮かぶ。それ以外のときはとにかく無になろうと言い続けている。
すみやかに、なるべくすみやかに、かろやかに、苦しまずに、この世からなるべくはやく立ち去るには。
なるべく簡単に。

化け物

昨日の朝のことである。
「シュールレアリスムってなに」と聞かれた私は不思議な気持ちがした。
あの化物がこんな人間らしい疑問を持つようになるとは。
少し経って、実の母親に迫っている死があの化物に影響しているのだと分かった。

私が作成していた、コラージュに使った雑誌に特集されていたのを見つけたらしい。
化け物にシュールレアリスムについて説明するのは難しいし、他人に説明したことがなかったのでシュールに関して説明するときに自分から出てくる言葉を他人事のように自分で聞いていておかしかった。ポストモダンとか脱構築とか違和感とかキュビズムとか自動筆記とか。

化け物とは私の母親。

普通の人間ならば持つような疑問を持つことがないまま生きてきた化け物のような人間。人間と言っていいのか私には分からない。

最近、ヘルタミュラーの「呼び出し」を読んだ。この感想をブログに記録したくて書き始めたのだが、前置きが長すぎた。
以下は読書メーターの私の感想から引用したものである。


読んでいる間、ミュラーの胎内から外を眺めているような感覚に陥り、目眩をおぼえるほど飲み込まれてしまった。
ページに書かれている彼女の文章に自分の目ん玉が貼り付ついているんじゃないかと思った。
読み終わった今になって、これはまさに目眩がテーマだったなと分かったけれど、目眩ときいて一般にイメージされる、陶酔や逃避とはおよそ懸け離れていた。描かれていたのは、朦朧としながら覚醒すること。
訳者あとがきに、『心には雪が逆さに降っている』というポエムを『絶望が降り積もる』と要約されていて、はじめは便宜上仕方ないとはいえ、ミュラーは絶望を絶望と言わない、愛を愛で表現しない、ミュラーにとっては言葉がなんにもしっくりこない、それどころか彼女の前では愛も絶望も甘く聞こえるのだから、こいつ(訳者)は何を言っているんだと読んだ私は憤慨したが、考えてみればこれは紛れもなく絶望した人の文章であり、絶望しきった人は『絶望』という言葉の周辺をぐるぐる巡ることもやめるもので、(本人が望んでいようといなかろうと)ひたすら自己再生の一貫にはなってしまっている『目眩』を描くことしか結局はできないので、それを第三者(たとえば今回で言えば翻訳者)が『この人は絶望している』と言ってくれるということ自体は、ある意味では救いなのかもしれないと思った。
ミュラーの世界観では、笑いは発作で涙は目ん玉に残った最後の粘膜の水滴である。
心と身体がバラバラで、自分を切り離してやっと生きられる状況で、輪郭をなぞったりずらしたり、事物や時系列を解いては繋げて、そこから見える本当に信頼できるものにいつか辿り着けるのか。
しかしこの本の中の唯一の希望みたいにみえるリリーもタバコの花で象徴されているように、どこまでいっても騙された気になってそれが永遠と続くのか。
私はドイツやルーマニアについてはなんにも知識がないけれど、エッセンスにまで濃縮されたミュラーの文章は心で分かる気がする。悲惨な状況でなくとも皆もそうなんじゃない?と言われている気がした。
ここからはこの本を読んだときに喚起された個人的なユリシーズ。この本はかなり複雑なので、私がここに書く感想は私というフィルターを通したものに過ぎず、物語の一端を取り出しただけである。
読んでいる間に私の脳内にポンと『馬鹿な女』という単語が浮かんだのだ。読み進めていくと実際に出てきたのだが、そのタイミングで気づいたこと。私は、自分の心に刺さってきた本はなんとなく、馬鹿な女がいかに自身の立場や馬鹿な行いを純粋に描き記せてきたかにかかっていたことに気づいた。馬鹿な女がいかに環境と自らの性質、歴史、その他諸々のごちゃごちゃで支離滅裂に物事を進めてきたかを中動態的に描き記せたか。自身の支離滅裂さをいかに自認し、感動的に描き出せたか、そこにかかっていたように思う。それは私があらゆる本に私自身の母親を謝らせたいからである。私の母親がこのくらい明晰に支離滅裂であることを認めて、産むということはこのくらい支離滅裂な行いであることを私の前に提示できる馬鹿な女だったらどんなによかったし、どんなに救いようがなかっただろうかと。そうしてようやく私は母親を赦せる気がする。そんな本を読むことで何度も母親を赦して、私を生き返らせようとしてきた気がする。

読書好きへの100の質問答えてみた

1. 年齢は?
29

2. 性別は?

3. 読書歴は?
年齢と同じ

4. 初めて読んだ本を覚えてる?
わからない

5. これまでに何冊くらい読んだ?
読書メーターに登録してるのは1000冊未満

6. 月の読書量は?
0~4冊

7. 1日に何時間くらい読書する?
5分~1時間

8. どんなときに読書する?
仕事前の待機時間や寝る前、その他隙間時間。

9. 小学校ではどんな読書感想文を書いた?
これは由々しき問題です。大学を卒業するまで私は本を読めてはいなかったというか、本は自分にとってはバリアのようなアイテムだったので、第一に護られるもの、世界そのもの、であり、その外へ脱皮し、思考するという段階へはいけないほど緊急性の高い代物だったわけです。ここまで書けば察しのとおり、何も書けませんでした。

10. 中学校ではどんな読書感想文を書いた?
上記を参照。

11. 高校ではどんな読書感想文を書いた?
上記を参照。

12. 読書感想文を書くのは得意なほう?
上記を参照。

13. 読書感想文の書き方は?
酔った勢いのままお友だちにプレゼンする気持ちで。

14. 読書感想文におすすめの本は?
よく考えたら今でも書ける気がしませんでした。

15. どうしておすすめ?

16. 読書感想文のパクリやコピペについてどう思う?
好きにしたら。

17. 書評をよく読む?
読みます。広い意味でなら。Xの投稿など読書愛好家さんたちの感想や買った本報告などの情報が主に選書の頼りになります。でもきちんとした書評家による書評には何故かあまり興味がありません。何故でしょう?

18. 本のランキングを参考にする?
流行を知るためにたまに見ます。が、あまり参考にはなりません。

19. 読書ブログを読む?
そもそも自分に合うブログを見つけるのが難しい。

20. いま読んでる本は?
シェイクスピアの『テンペスト』『マクベス

21. どんな本?
戯曲。

22. 面白い?
文が美しく、テンポよく、面白いです。聖書とか民話に通じるところがあり、読んでいて心が落ち着きます。

23. 最近読んだ本は?
アンドロイドは電気羊の夢を見るか?

24. 最近のおすすめの本は?
『鳥の心臓の夏』

25. どんな本?
心が透明になる本

26. 読書におすすめの本ランキング第1位!
色々ありすぎる。ていうか25の質問はどうなるのか。それ以外で言うとムーミンシリーズ等はいかがでしょう。

27. おすすめの理由は?
個人的には、哲学的な思考をするきっかけになったシリーズだからです。

28. 読書におすすめの本ランキング第2位!
ムーミンを読んだら、ぜひともトーベ・ヤンソンの大人向けの短編集シリーズを読んでもらいたいですね。

29. おすすめの理由は?
ムーミンよりも更にシニカルさや諦念を感じられると思います。

30. 読書におすすめの本ランキング第3位!
まだ続くの?もっと別のアプローチをしてくれよ!ボルヘスじゃないですか?

31. おすすめの理由は?
本、言語の外側へ押し出してくれるから

32. 読書におすすめの本ランキング第4位!
困ったな。シモーヌヴェイユ

33. おすすめの理由は?
これ以外になにがあるんですか?

34. 読書におすすめの本ランキング第5位!
ユング

35. おすすめの理由は?
理系から文系になった人たち全てに刺さるとは思う。

36. 好きな作家1人目は?
上記以外だとアニーディラード

37. 主な著書は?
『本を書く』『石に話すことを教える』

38. どこが好き?
私がこれまで読んできた作家の中でも秀でて石のように冷ややかで人間らしくなく、それでいて全てを八つ裂きにし、灰にし尽くすほどのエネルギッシュさがある。重たい。

39. 好きな作家2人目は?
黒田夏子

40. 主な著書は?
abさんご』『組曲わすれこうじ』

41. どこが好き?
言語の扱い方が一般人と違うのに、言語本来の使い方をしていると納得させられてしまう。

42. 好きな作家3人目は?
二階堂奥歯

43. 主な著書は?
『八本脚の蝶』

44. どこが好き?
センス

45. 読書週間ってどう思う?
何とも思わない。

46. 読書週間には特に読書する?
気にしない。

47. 読書日記書いてる?
読書メーターのみ。

48. 読書ブログ書いてる?
たまに。

49. 子供の読書におすすめの本といえば?
特に無し。

50. あなたが思う必読書とは?
やっぱ聖書?(読んでいません)

51. どうしてそう思う?
すべてが詰め込まれている気がしてる

52. 読書記録のアプリやサイトを利用してる?
読メ

53. 図書館によく行く?
はい。

54. 図書館をどう思う?
居心地はよくないけど無料でつかえるから使う便利ツール

55. ベッドで読書する?
しない。姿勢はできる限り正したい


56. どんな読書灯を使ってる?
机の電気スタンド

57. どこで買った?
学生時代からあるので知りません。

58. いくらした?
上記参照

59. そのライトを選んだ理由は?
上記参照

60. 読書のライトにLEDってどう?
どうでもいい

61. カフェで読書する?
外で読書はあまり得意ではないしカフェ自体が嫌いですので。

62. いわゆるブックカフェってどう?
何とも思わない。自分は行かない。

63. 読書におすすめのカフェといえば?
特に無し

64. あなたなりの読書方法ってある?
とにかく隙間時間で読むこと。自分には必要がないと感じたら直ぐにやめること。

65. よく使ってる読書アプリは?
読メ

66. 読書をすることで何か効果はあった?
効果?暇潰しにはなります。

67. 読書の計画を立ててる?
常に立ててますね。

68. 読書会に参加する?
しない。

69. 無料の読書サイトを利用してる?
読メ

70. 英語の本を読む?
残念ながら読めません

71. 大学生の読書におすすめの本は?
特になし

72. 読書が趣味でよかったことは?
お金がかからないこと

73. 風呂で読書する?
しないです

74. 読書の速度はどのくらい?
遅いことしか分かりません。

75. 読書のスピードを上げるコツは?
意味が分からないところにぶつかっても、ある程度先までざっと目を通すこと。知らない漢字や表現は、すぐさまググること。

76. 読むのは小説が多い?
エッセイも多い気がします。

77. 自分は読書家だと思う?
まあまあ

78. 読書するときの椅子はどんなの?
普通の椅子

79. 椅子に求める条件は?
背もたれはあった方がいい

80. 図書カードもらうとうれしい?
はい。

81. 本屋によく行く?
田舎なので行ってもどうしようもないです

82. 本は本屋で買う?通販サイトで買う?
買うとしてもAmazon

83. 電子書籍は利用してる?
目が悪いのでしない

84. 電子書籍をどう思う?
目が悪い民向けではないね

85. 自己啓発本は読む?
興味無し

86. どんな読書スタンド使ってる?
読書スタンドとは?

87. 欲しい読書スタンドとかある?

88. 読書を習慣づけるには?
読書に最適な日や時間など一生来ないということを悟ることです。

89. 読書のコツは?
上記参照

90. よく読書する場所は?

91. その場所のいいところは?
一人というところ。あとasmrを流せる(イヤホンが嫌いなので始終スピーカー)。

92. 漫画は読書と言える?
はい

93. おすすめの読書グッズとかある?
特に無し

94. 自分で文章を書くのは好き?
あまり向いてない

95. 読書で得た知識といえば?
諦めること

96. 読書に影響されたことといえば?
気長になること

97. 次に読んでみたい本は?
うーん色々ありすぎる……例えば今目の前にある『失われたスクラップブック』とか?

98. 期待してる作家は?
期待はあまりしない方がいい。

99. 次にいつ読書する?
明日の朝

100. 読書はあなたにとってどんな行動?
自分を護ること

境界例
これまで見たなかで一番納得した自分の名前。僕の精神は辺獄を漂っているんだ。まさに境界。始めは0か1かしかない極端な世界に生まれる。そこで死ぬ思いをする。そして中間を求める。そしてどんどん解離がはじまる……。

ポエトリーが中間(この世で中間を前提とする中間、紛れもなく中間)の言葉を意味するなら、生と死の中間に人間に何が起きているのか学ぶことは、≒詩学になってるんだよねえ。

僕は詩によってでしか心を解体できないことに気づいていたのかもしれない。
詩を通じて、病みを学ぼうとしていた。

いずれにしろ
ほとんど執着というものから離れ(多くはあらゆる痛みに疲れて)、微動だにせず、私の身体の外側に起こっていることの、ほんの些細なことまでが身体の芯に殆ど直接『痛みとして』響くようになったとき、詩は私にとって輝き始める。

『老いについて』ジャン・アメリー

ここ数日、階段の踊場をぼんやり頭に浮かべてそこに意味を見いだそうとしている時間が長くなっている。

最近図書館で『老いについて』という本を借りた。

時間が直線的で、自分の前には時間があると信じられる人は時間は外にあるのでそこへ自らを身体ごと投げ入れていくけれど、時間は空間であり、自分自身が時間そのものになってしまった者は自分の内側へ時間を作り出すので、じっとしたまま動かない……というところまで読んだ。以上は要約。詩的だね。

また身体と心を分けて考えるところから始まっている……とぼんやり思っていたら、次のような考えが浮かんできた。思考があちらこちらして申し訳ないが自分的には繋がっているので最後まで書かせてほしい。

なんで言葉って騙されやすいのに私は言葉の方が映像より上に思うんだろうって、長年考えていたけど、最近うすうす思うのは、映像はどちらかといえば『身体的な』体験に近くて、本は『精神的な』体験に近いということ。
私は身体的な体験が苦手だから、すごく合わないのかもなあと。

身体的か精神的かどちらに寄るかという問題は、もちろん性格にも寄るだろうけど、そもそも運動音痴だと精神的にならざるを得ない、ということもある気がしている。私もその傾向があるので。

眼から、耳から、入ってくる情報を処理する時間がすごくかかる。映像を瞬時に与えられてもパニックになってしまう。現実的に与えられた身体的な刺激を上手く受け捉えきれない。

それに加え、本に比べて映像は一方的という面もある。これは身体的な時間経過を過ごすということで、本は自分の内側の時間で読めるから、やっぱりそこも身体的な特徴と内面的な特徴の度合いが異なると思う。

私は小学~中学生まではそもそも相手の言葉が聞き取れない(全部カタカナに聞こえる・遠くと近くの音が聞き分けられない)ことでコミュニケーションをとることが酷く難しかった。それはかなり影響している気がする。いままで誰も気づいてはくれなかった。

耳が悪いわけではない。処理の仕方が故障しているということなので、誰にも分からない。

高校?大学から少しは慣れていったけど、今でもやっぱり聞き取りづらい。音以外でもこういう生きづらさは細々とある。

物語というものの起源は、そもそもは人間が外的な刺激、天災を心に受け入れやすくするために生まれたものであることを考慮すると、その機能が極端に劣っている人は文学へ興味が行きやすいのではと私は思っている。逆にその機能が普通にバランスよく備わっていれば、(受け入れたい、分かりたい)という気持ちも起こるはずがないので、つまり、無自覚になるので、文学的にはならないと。

だから、映画は家で小さい液晶画面でみる意味がないのは確実にそうだろうなと。
映画は映画館でみるものなんだろう。映画は、映像の本質を捉えるならば、自分の時間でみる意味がない。

ところで、
私が相手の言っていることを処理しきれていないことを早くから見抜いていたのは、とあるお坊さんだけだった。

この子はずっと喋っている人を凝視しているでしょう、耳で分かっていないんです。

親は勘違いして私を耳鼻科へ連れ回したけど勿論異常はなかった。バカだね。

おわり。

愛せない

人は自分が捨てるものだけしか、所有しない。捨てないものは、わたしたちからのがれ去る。この意味において、何ものであろうと、神を通すことなしには所有することができない。

シモーヌ ヴェイユ重力と恩寵 」より 

 

「あなたがそこに存在することを願う 」

 

人を愛することは、存在しない人を愛するということ。
それは無を愛することで、真空を愛することに似ている。

R4.7.27 Twitter log

皆が寝静まるまでに小話を
私は元々葬儀屋だった。
だったというか、なる手前で自殺しそうになってやめた。

未だにやめなければ良かったと後悔が押し寄せるときがある。
その度にどう考えても私には無理だったと思う。

当時はよく分かってなかったけど今思えば本当に好きな仕事だった。
葬儀屋は人の死に直接的でありながら観念的に関わり続けることができる最も簡単で近道の職業に思える。

初めは
死から遠ざかってばかりいたから、強制的に近くへ行ってみたくて葬儀屋を選んだ。

毎晩毎晩繰り返される通夜。
人の悲しそうな顔、すっきりしたような顔、泣いたり笑ったり無表情だったりする顔、黒い喪服の列、どうでもいい供花(喪服に花粉が付かないように雄しべと雌しべを箸で取る作業は楽しい)、宗派によって長さが変わるお経、毎晩のお経、そこら中に染み付いている香。
人の死なんて何とも思わないと思っていた。

そう思っていたのに
毎晩それを繰り返していると何かが分かりかけたような気がした。何か、人間的な。

哲学書などいちいち読まなくても、あれを続けていたら全てを感覚的に理解できた気がする。

当時ペアになってくれた先輩はとても素敵な方だった。
毎晩棺に入れられて焔に焼かれる夢をみるような人だった。
素敵すぎてそばにいるのが辛かった。

およそ新卒相手に対するものとは思えないような負担ばかりかけられる毎日だったが
ある意味自分と近い人たちが集まっていた場所でもあったように思う。

あれから数年。
未だに傷は癒えないけど、こうして呟けているということは少しは自分の中でも整理がつきはじめているのかな、とか。

日記へ(2022.04.23)

『精神的に落ち込んだときって具体的にどういう症状がでるのかな?』
『症状……そうですね……』

まず

息ができなくなっている

ということに後になって気づく


『それ、いつ終わるの?』
はっとして顔をあげる
『何がでしょう』
『カウンセリング』

無邪気なのか皮肉なのか
対立する2つの間をまとめるためにはこういう種類の人間も必要なのかもしれない。

関心がないのかあるのか面倒なことには関わりたくないけど情報として蓄積したいという顔。義務的な。少し呆れたような。この状況を楽しんでいるとも受け取れる。

『一生続くと思います』
『使えるものは使っとこう、みたいな?』
『必要ですから』


大丈夫
まだ息はできている

微かに

日記へ(2022.03.19)

今日はカウンセリングだった。血液検査の結果も出ていたのでその紙も受け取る。
肝機能、正常。
血糖値、正常。
脂質、正常。
腎機能、正常。
正常、正常、正常……。
数値は、すべて異常なし。


健康そのものです、前回から一ヶ月経ちましたけど、その後どうですか
花粉の時期だからか、目が一段と見えにくいです
それはますます本が読めなくなるね
ええ、毎日、ぼんやり過ごしています


この前たまたま聴いていたキャスで印象に残った言葉

読書は嫌ですね。読みますけど、本当に嫌。
いつまでやってるんだろう俺って思います。
音楽はそれがないんだよな。いくら聴いても嫌にならない。
音楽には具体性が無いんです。
もっと目に見えないところで情動が発生するので、
これは私にとってプラスに働くんですけど。
言葉を読むと、どうしても意味が浮かんでしまう、その意味が繋がって
しまう、連想してしまう、過去を未来を引っ張り出してしまう。
ぐるぐる動くんです、それが楽しいんですけど。
結構切実なところまで読み込もうとするんですよ。
それがここ最近どんどん捗らなくなってきたんですよね。

逃げ場が山ほどあって、とても安泰な精神状態のなかで
安穏と暮らせる状況がもしあったとして
私は本当に本を読むのだろうか。
世界が何がどうあろうと元々私はどうでもいい質の人間なので。
なるべく外界とは線を引っ張って外は外内は内でその内を大事に
するタイプですから、内が充実しているのであればなにも本を読まないだろうなと
本を読むことができるっていうことを自分では知っていても、
あえて読まないという方向に……分かんないですけど、
それでも読んでしまうかもしれないですけど。
今は本を読んで『しまう』んです。

neveuさんのキャスより


音楽は目に見えないところで情動が発生する……らしい。
音楽で情動が発生……してるのかな。
微かには感じるけど、文字以上にグロテスクなものが自分には感じられない。

目がこんなことになって以降、常に意識がぼんやりしている。
自分の読書生活がどのようなものだったか……。

無意識に感情をシャットダウンしているので
現実では驚くほど鈍感なのに
痛みだけ蓄積されていて
本の中でようやくそれが解放されて
日々の輪郭が
グロテスクなまでにはっきりと現れて
色んな感情を起こすことができた

生きている実感を得られた


でも最近思うんです。自分は別に生きる実感が欲しかったわけではなかったなって。
一種の麻薬みたいなものです。
読むしかない。
本は自分にとっては、バリケードの代わりでしたから。
読みたいというより、読まざるを得ない、そう、読んで「しまう」んです。

日記へ(2022.03.11)

見え方に応じて変えられるように2つ持っている、度が弱い眼鏡と強い眼鏡を交互にかけかえてみるが、強くしただけ自力で表面に膜を張っているのではないかと思えるくらいには対象物との焦点が微妙に合わない。目を瞬かせても擦ってもぼやけてしまう。
いつまでも慣れない
この世に。


『恥を知らないよね』と人から笑われた。何にも分かっていない。私は
生きていることが恥ずかしい人間なのに。

『母親を許さなくていい』と言ってくれた人が
人生の過程は、自転車に乗ることと似ていると話していたのを思い出した。

始めはどうバランスをとればいいのか分からない、でも徐々にゆっくり慣れて、いつの間にか乗れるようになっているのだと。
その過程が、人よりはやい人とゆっくりな人と。

外面上は平和にしていても、許したことにしなくていい


頭がしびれて何も考えられない。

日記へ(2022.03.08)

本が読めなくなって一年以上が過ぎた。一番大事にしていたものが奪われても人生は非情に続いていくので……。

日々の記録のタイトルを日記へにしたのは、昔大好きだった物語に出てきた、漂流中の船酔いをやり過ごすために少年がつけていた日記のタイトルがDear diaryだったことから由来している。


日記へ
今日も眼が霞んでよく見えなかった。
視界がぼやけるので変に力が入って肩も首も痛い。
何も見たくないけれど、生きながらにして見えないというのは大変に不便です。


生活をやり過ごしながら、頭の中では昨日書いた日記のことをぼんやりと反芻している。
自分が自分に向けた言葉だけが正気を取り戻してくれるから。

噛み合わせがどうとか……。
下の歯を隠したい、足を一歩踏み出すのに戸惑う、舌を引っ込める

共通して内側へ閉じこもるような自閉症状。
なるほど。


日記へ(2022.03.07)

別に毎日書く必要はないのだが、これで3日目になる。
3日目にして特に書くことがないので、歯の話でもしようか。


永久歯が生えなかったところに入れ歯を一本入れているのだが、私は噛み合わせが通常よりかなり深く、長くて2年ほどで噛み割ってしまう。
前回は作って1カ月ほどで割れてしまい、うんざりして半年ほど放ったらかしにした後、重い腰を上げて歯医者に行ったところ、また噛み合わせに関して指摘があり、そのときおぼろげに過去を思い出した。

その記憶によると、私は自ら噛み合わせを深く噛みしめるように矯正したようである。
小学低学年のある時期に、何のきっかけもなく急に、口を閉じた時に下の歯が隠れるくらいにしっかり接着しなければという脅迫観念にとらわれた。

たぶんそのとき毎日のように歯をずらして深く嚙合わせることで自力で矯正させたのだと思う。そんなことがあるのか。
ユングの著にも似たようなことが書かれていたような気がする。どのような処置を施しても舌を喉の奥まで引っ込めてしまう少年の話。


それに関連して思い出したこと。同じ時期に歩き方が分からなくなった。
一歩足を差し出す度に、どのように浮かせて、どのくらいの幅で、どの位置に着地したら良いのか、急に分からなくなって混乱したのを覚えている。
今まで自分はどのようにして自然に足を運ばせていたのか。歩く人を目を凝らして観察しても分からず、しばらくはよろけながら歩いていた。


どのような処置を施しても自力で変形させてしまう。
たとえば私の身体は風船みたいなもので、外界の圧が高ければ萎んでしまうか、抵抗を続けようと膨れ上がってしまう。そして、いつかパチンと。


繋ぎ目

最近よくデジャヴを感じる。
そりゃそうだとも思う。
私が今ここでしていることは
今まで何千何百何億回繰り返して来たことで。

私が生まれて今このときまでに起きたことは
ぜんぶ一瞬の間に同時に起きたことだから。

カインとアベル
カインの額の印は、人々がカインを弟殺しの罪で殺してしまわぬように
神がつけた印。

この印は
カインに罪を償うよう命令しているというよりは
償うことが可能であると捉えた方が無難だ。


可能。
良いも悪いもなく、そのままの意味で。

この世に生き残る人は
良いも悪いも自分の夢がこの世に望まれた人で
夢を上手く演出できる、そのエネルギーがある人。
それだけのことで。