夕日を泳ぐ 寝言レビュー

夕泳と申します。作品のこういうところが美しい!ということを語ります。基本的にネタバレあり。コメントご自由にどうぞ(^^)d

煩悩が飛ぶアニメ かぐや姫の物語

 

 

私は雀の涙ほどしか映画を観てきてないし、観ても有名どころな作品ばかりなので、

今年観た「ライフオブパイ」と「かぐや姫の物語」で今までに観てきた映画のすべてがいとも簡単に色褪せてふっとんでしまった。

 

今日は「かぐや姫の物語」について書きたい。

 

かぐや姫の物語 [DVD]

 

映画では、原作の「竹取物語」の主役が翁からかぐや姫へ変更されている。

そしてこの映画は、貴重な女性視点の神話だった。

 

神話には" 女性視点の神話 "と" 男性視点の神話 " があると仮定すると、

 

男性視点の神話に描かれる女性は、男性の潜在意識にあるアニマ像なので、馬鹿馬鹿しくみえる(例えば踊り子などとして登場する)。

 

それが、女性視点の神話になれば逆に女性の潜在意識にあるアニムス像が描かれるので、間抜けな男性たちが描かれることになる……

 

のではないか。

そしてこれらはどちらの場合にも男が間抜けとか女が差別されているとかなんとかという次元の話ではなく、男女それぞれどちらかの主観が強いというだけだ。

 

かぐや姫の物語」において男性が間抜けにみえることについて(またそれ以外でも)岡田先生が非常に分かりやすく解説されていたので動画を観てみてほしい。

https://youtu.be/wRAzO9DiZwE

 

この映画をひとことで表すと……

" 煩悩が飛ぶ物語 "だろうか。

私はこの物語によって魂が救われたような気がした。

 

同じ「女性視点」であることはもちろん、

映画を観る前に読んだユングの本に、自分は月人で、月に帰りたいと言って月の生活を夢に見る患者がいたという話を読んでいたこともあってか

精神疾患視点」の話としても大変共感した(劇中に箱庭療法も出てくる)。

 

映画のキャッチコピーに「かぐや姫が犯した罪と罰」とあるが、

つまりは(かぐや姫自身が)生まれてきたことが罪で、生きることが罰ということだとは思う。

これはかなり普遍的な主題で、生きることが本質的に向いていない人だとか、苦しみ抜いた人なら誰でも行き着く思想だ。

 

※因みにひとつも読んだことのないドストエフスキーの「罪と罰」について調べてみたところ主人公の名前ラスコーリニコフは、意訳すると「分裂する」だという。

 

 

 

かぐや姫が月へ帰るシーンで冠を被るところは個人的に印象的であったが
かぐや姫が無意識の人格に主導権を明け渡す象徴がきちんと描かれている。

 

ジブリ映画で
千と千尋の神隠し千尋はトンネルを抜けるまで後ろを振り向かないし、魔女の宅急便のキキは、影の自分であるジジと喋らなくてもやっていけるようになる。

これらは始めから終わりまである人生の、いわば一瞬の出来事であり

地上に残り、生きることが目標である。

 

ところが、かぐや姫は完全に魂と肉体が分離した。

生きることを高次元に肯定しつつ、そう、苦しみながら肯定し、否定し、その矛盾(葛藤)は生きることそのものだ。

そして最後はやはり半ば強制的に(でも自発的に≒運命≒月の引力)死の国へ帰っていく。

 

この複雑性はなかなか人を選ぶ映画かもしれないが、響く人には響くだろう。

心が透明に透き通っていく映画だった。

 

https://youtu.be/LgoIK7bgdRo

 

 

ロスト・コントロール ~虚無仮説~  

 

 

久しぶりにBL小説を読んだ。

台湾の作者による台湾Bl、

「 ロスト・コントロール

 

ロスト・コントロール -虚無仮説1- (Daria Series)

 

ジャンルは海外もの(翻訳BL)、

心理サスペンス、トラウマ、バディもの。

 

舞台はFBI。相棒同士の藍とハイエルが、それぞれの辛い過去を彷彿とさせる事件が多発し、自分自身と向き合わざるを得ない事態に追い詰められていく。

それらを通してお互いの心や関係性が変化していく物語。

 

" ハンニバル "や" Detroit Become Human"などの心理描写が綿密なストーリーを好む(BL耐性のある)方におすすめ。

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与太話 + ユング自伝 1

 

先日の出来事。

その日仕事で担当についてくれた女性から、話の流れで
「聖書は読んだことある?」
と聞かれた。


(私は心理学を独学中で宗教に関心があったので)正直に興味があることを伝えると
彼女は「こういうことは仕事中に話したことはないんだけど……」と
さっそくエホバの証人の勧誘をはじめた(とはいえ勧誘ではないと前置きがあった)。

 

私は(もしかしたら心理学を学ぶ同士が見つかるかも)という微かな希望を抱いて興味を示したのだが、幾分はあてがはずれ、とはいえ
聖書について詳しく聞きたかったので続けることにした。

 

聖書についてや、エホバと普通のキリスト教の違いを話の流れで聞いたのだが、残念ながらあまりよく分からず……。

彼女はやがてエホバの何かの集会が近々あるのでそれに招待すると言い出したので、私は慌てて

自分は心理学を学んでいて、心理学は必然的に宗教や世界の民話の研究に繋がるので、

その意味で宗教に興味があることや、自分はひとつのことを信じる気持ちは今のところないのだという旨を説明した。

すると彼女は理解を示してくれ、

次に私に
「神は存在すると思いますか」
と問われた。

 

さてここで私は馬鹿正直なのと、心理学的なことに関する話題はなおざりにできなかったので

「こんなことを今ここで話すのは抵抗があるし、あくまでも今私が考えて理解していることではありますが……」

と対応してしまった。

神というものは人格化されてはならないものであって、いつまでもその総体は人間には掴めないし、また掴んではならないものだ。神はあえて例えるならエネルギーのようなものだ。
というようなことを応えた。

彼女はこの返答に大変満足したようだった。

 

それから彼女は動物や植物などについて話そうとしたが、お客が来たので話はそこで途絶えた。

しかし難なく私のLINEアカウントを交換し、
「聖書やエホバに関する良い記事などがあれば送る」

と勧誘の第一歩を成功させたのだった……。

 

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おおきなポケット

今はすでに廃刊となった、福音館書店の絵本雑誌「おおきなポケット」は多彩な内容で、サブカルな作品が詰まっていた。

 

そこに掲載され、ハードカバー化はされなかったもののなかに、とくに私が個人的に印象に残っている作品が3つある。

 

雑誌を手に入れない限りは内容の確認がとれず、残念ながら内容はほとんど覚えていないのですが。

 

 

タマゴ タマゴ タマゴ / 岡田貴久子 作 ・ 井上洋介


f:id:psychocats:20200301172449j:image

 

絵を担当した井上洋介さんは「くまのこウーフ」の絵で有名な画家。

ほとんど話の筋は覚えていないが、狂気を感じる内容だったと思う。

世界感は長新太矢玉四郎に近かっただろうか。

たまごをとった少年が、呪われて鳥になってしまう……というところだけ何となく覚えている。

 

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結界 その②

 

前の記事の続き。

 

人は人にとって、強力な"要石"である。

 

要石とは、物事の支えとなる大切な事柄や人物(WEBIOより)。

また、陰陽師が結界を張るときに使う道具のひとつでもある。

 

 

太古の人々や未開民族が人間を生け贄として神に捧げることと

文明社会で誰かが知らない間に生け贄になっているのとでは、

どういう違いがあるのか。

 

 

実際に起きていることを地下へ封印して無かったことにしている現代社会は、未開民族の生け贄の儀式よりもひょっとすると質が悪いのではないか。

 

人や物をエネルギーとして捉えたり、気の流れなどを意識していると、何が本当のことなのか分からなくなってくる。

はっきりしているのは、本当のことなんかひとつもなくて、人は呪(しゅ)で人たらしめているということだ。

 

「この世で一番短いとは、名だ 」

 

 

夢枕獏さんの「 陰陽師 」シリーズの名セリフである。

 

陰陽師 (文春文庫)

 

ユングの元型論では、地上にあるものはすべて、底の方では繋がっていることを学んだ。

 

しかしそれがいったん地表に出れば、もちろん「みんな同じ」わけでは消して無い。

底の方で繋がっているからこそ、地表ではさまざまな境界線があり、生命はそれに縛られていて、守られている。

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結界 その①

 

 

母ヤショーダは神の子クリシュナが泥を食べたのではと疑い、食べていないと弁解する子どもの口を開けさせた。

すると母は子の口の中に悠久の宇宙を見た。

 

映画「 ライフオブパイ 」にも出てくる、インドの神クリシュナの話だ。

 

私はこれを"曼陀羅の構造"と合わせて語りたい。

 

 

曼陀羅

 

①対称性

②円形

③閉鎖系(結界、囲い)

 

で構成され、"現在"を表す。

曼陀羅はひとつの小宇宙である。

 

瞑想では、この曼陀羅を呑み込むイメージをして、自分自身が小宇宙であることを認識する。

ヤショーダが子の口のなかに見た宇宙とはこういうことなのではないだろうか。

 

曼陀羅を描くことは、

世界における自分の位置を確認する作業でもある。

 

そのひとつ、

③の"結界"について私はずっと考えていた。

 

結界はバリアだと思われがちが、その他に大事な意味がある。

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こみねゆら

誰もがそうだとは言わないが……

 

自我は心のなかで母親を殺すことで芽生える。

それまでは器として生きる。

ちょうど卵に包まれたまま生きているのと似ていて、目は閉じられている。

 

これに関してフロイトユングの言っていることをまとめれば、

女性は、あるときまでは母親を生き、

男性は母親に囚われ(父親には多かれ少なかれ反発心を灯し)て生きる。

 

しかし彼らは心のなかで母親を殺したとき、二度生まれる。

卵の殻を破るのだ。

 

 

こみねゆらさんの絵本は、作品全体の印象として「二度生まれる女性」をテーマに描いているように思う。

 

オルゴールのくるくるちゃん (講談社の創作絵本)

「オルゴールのくるくるちゃん」はある少女のもとから人形(くるくるちゃん)が離れ、数年後、同じ女性のもとへ返ってくるまでの物語だが、

ここで描かれる人形(くるくるちゃん)の半生は、持ち主である女性の半生といっても良いだろう。

こみねゆらさんの寂しげな絵柄で描かれるくるくるちゃんの半生は、どこか浮いていて生きづらさを感じる。

くるくるちゃんの身体はどんどん軽くなり、いよいよ自分という魂の重みが抜けていき、風にさらわれてしまう。

そんなくるくるちゃんを拾い上げたのが、もとの持ち主である女性だった。

 

自分を生きることは自分を許すこと。

最後には器だった自分の半生(くるくるちゃん)を受け入れた女性は本当の意味で自分を解放できたのだ。

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