群青とセピア

夕泳と申します。作品のこういうところが美しい!ということを語ります。基本的にネタバレあり。コメントご自由にどうぞ(^^)d

ヴァイオレット・エヴァーガーデン、最終回について

 

 

人は自分が捨てるものだけしか、所有しない。捨てないものは、わたしたちからのがれ去る。この意味において、何ものであろうと、神を通すことなしには所有することができない。

 

シモーヌ ヴェイユ重力と恩寵 」より 

 

 

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ヴァイオレット・エヴァーガーデンを2、3年振りに観た。

とても素晴らしいアニメだったが、最終回について一言二言、語りたい。

 

最終回で

ヴァイオレットが「 愛してるも、少しは分かるのです 」と言えたのはひとつのゴールとして完結していて良かった。

 

が、「 死んだ人 」は生き返らないし、行ってきた罪もなかったことにはならない……という命題を「 死んだ人の思いを次の世代に託す 」とか「 世界が争いのないように 」……というようにまとめてしまったのは私には普通すぎたというかなんというか。

 

ここからは個人的な言い分。

 

ヴァイオレット・エヴァーガーデンの中核には、たぶん「 死んだ人を愛する 」という命題がある。
「 愛する 」ということ、本当に純粋な愛は、

「あなたがそこに存在することを願う 」ことだ。

それ以外の愛は、何らかの主観的な、欲望から産み出された幻想が入り込む余地がある。

 

ヴァイオレットの愛する相手は死んだことになっている。

 

ところで、
死んだ人は、周りの人々に苦悩を与えるが、周りの人々はこの苦悩を愛のエネルギーに変換する。
つまり、死んだ人は周りに愛のエネルギーを振り撒くことになる。

ヴァイオレットは( 死んだことになっている )少佐の「 愛してる 」を理解するために、様々な体験をして、自分の罪と罰を実感し、人間の心を取り戻していく。

 

人を愛することは、存在しない人を愛するということだ。
それは無を愛することで、真空を愛することに似ている。

愛する人を、存在している人を愛していると思うことは、自分の中の幻想で作り上げた人を所有しているということだ。

 

ヴァイオレットの人生は、存在しない人を愛するということを身をもって知る運命だったようなものだったので、最終回ではもう少し「 無を愛する 」ということを深めた終わりにすれば、もう少し次元が上の最終回になったのでは……と思った。  

 

それだけ。 劇場版が今年公開されるようなので、もちろん観ます( さあさあこの機会に皆さんも観よう )✨またね。