R4.7.27 Twitter log

皆が寝静まるまでに小話を
私は元々葬儀屋だった。
だったというか、なる手前で自殺しそうになってやめた。

未だにやめなければ良かったと後悔が押し寄せるときがある。
その度にどう考えても私には無理だったと思う。

当時はよく分かってなかったけど今思えば本当に好きな仕事だった。
葬儀屋は人の死に直接的でありながら観念的に関わり続けることができる最も簡単で近道の職業に思える。

初めは
死から遠ざかってばかりいたから、強制的に近くへ行ってみたくて葬儀屋を選んだ。

毎晩毎晩繰り返される通夜。
人の悲しそうな顔、すっきりしたような顔、泣いたり笑ったり無表情だったりする顔、黒い喪服の列、どうでもいい供花(喪服に花粉が付かないように雄しべと雌しべを箸で取る作業は楽しい)、宗派によって長さが変わるお経、毎晩のお経、そこら中に染み付いている香。
人の死なんて何とも思わないと思っていた。

そう思っていたのに
毎晩それを繰り返していると何かが分かりかけたような気がした。何か、人間的な。

哲学書などいちいち読まなくても、あれを続けていたら全てを感覚的に理解できた気がする。

当時ペアになってくれた先輩はとても素敵な方だった。
毎晩棺に入れられて焔に焼かれる夢をみるような人だった。
素敵すぎてそばにいるのが辛かった。

およそ新卒相手に対するものとは思えないような負担ばかりかけられる毎日だったが
ある意味自分と近い人たちが集まっていた場所でもあったように思う。

あれから数年。
未だに傷は癒えないけど、こうして呟けているということは少しは自分の中でも整理がつきはじめているのかな、とか。