日記へ(2022.03.19)

今日はカウンセリングだった。血液検査の結果も出ていたのでその紙も受け取る。
肝機能、正常。
血糖値、正常。
脂質、正常。
腎機能、正常。
正常、正常、正常……。
数値は、すべて異常なし。


健康そのものです、前回から一ヶ月経ちましたけど、その後どうですか
花粉の時期だからか、目が一段と見えにくいです
それはますます本が読めなくなるね
ええ、毎日、ぼんやり過ごしています


この前たまたま聴いていたキャスで印象に残った言葉

読書は嫌ですね。読みますけど、本当に嫌。
いつまでやってるんだろう俺って思います。
音楽はそれがないんだよな。いくら聴いても嫌にならない。
音楽には具体性が無いんです。
もっと目に見えないところで情動が発生するので、
これは私にとってプラスに働くんですけど。
言葉を読むと、どうしても意味が浮かんでしまう、その意味が繋がって
しまう、連想してしまう、過去を未来を引っ張り出してしまう。
ぐるぐる動くんです、それが楽しいんですけど。
結構切実なところまで読み込もうとするんですよ。
それがここ最近どんどん捗らなくなってきたんですよね。

逃げ場が山ほどあって、とても安泰な精神状態のなかで
安穏と暮らせる状況がもしあったとして
私は本当に本を読むのだろうか。
世界が何がどうあろうと元々私はどうでもいい質の人間なので。
なるべく外界とは線を引っ張って外は外内は内でその内を大事に
するタイプですから、内が充実しているのであればなにも本を読まないだろうなと
本を読むことができるっていうことを自分では知っていても、
あえて読まないという方向に……分かんないですけど、
それでも読んでしまうかもしれないですけど。
今は本を読んで『しまう』んです。

neveuさんのキャスより


音楽は目に見えないところで情動が発生する……らしい。
音楽で情動が発生……してるのかな。
微かには感じるけど、文字以上にグロテスクなものが自分には感じられない。

目がこんなことになって以降、常に意識がぼんやりしている。
自分の読書生活がどのようなものだったか……。

無意識に感情をシャットダウンしているので
現実では驚くほど鈍感なのに
痛みだけ蓄積されていて
本の中でようやくそれが解放されて
日々の輪郭が
グロテスクなまでにはっきりと現れて
色んな感情を起こすことができた

生きている実感を得られた


でも最近思うんです。自分は別に生きる実感が欲しかったわけではなかったなって。
一種の麻薬みたいなものです。
読むしかない。
本は自分にとっては、バリケードの代わりでしたから。
読みたいというより、読まざるを得ない、そう、読んで「しまう」んです。