群青とセピア

夕泳と申します。作品のこういうところが美しい!ということを語ります。基本的にネタバレあり。コメントご自由にどうぞ(^^)d

詩のような美しい言葉を求めて

 

 

私は詩が読めない。

 

新卒で正社員として働いていたときは、精神的に参ってしまっていて「 荘子 」を読んでどうにか保っていた。

漢詩の一節一節が身体に染みわたるようだった。

あのときほど ” 詩 ” の本物さを感じたことはない。

 

 

絶望の極みに立ったとき、人は詩と聖歌を拠り所にするのだと思う。

絶望の極みに立ったとき

そのとき人は見えているもののヴェールが剥がされ、本物に近いものをみるのだと思う。

とはいえそのヴェールも、人間が生きている限り、完全に剥がされることは無いとは思うが。

ヴェールを数枚剥がしたところで、幻想は消えない。

 

 

人が絶望の極みに立たされるとき

2種類の行動パターンがあるのではないか。

 

ひとつ、生殖に走ること。

自分が被造物であるということを認識しないまま、神の似姿を自ら創造してしまう人々も一定多数いる。

自分の問題を直視できず、次の世代に託してしまう。

別に、だからといってそれが怠惰などと言うつもりはない。それもまた人間の悲惨さの内であり、だからこそ、良いも悪いもここまで種が滅びなかったのだから。

 

もうひとつ、それまでよりヴェールが剥がされた世界を認識すること。

実在そのものの景色を直視すること。

 

 

神と顔と顔を合わせることは、世界の実在のありのままを、そのまま受け取ることに近いのではないか。

絶望の極みに立ったとき、みえている景色ががらっと変わるのは、現実が現実のまま顕れてくるからだ。

それは死に値するかもしれないことで、大抵の人は、そこで顔をそむけてしまう。

 

 

私は、それでも……