群青とセピア

夕泳と申します。作品のこういうところが美しい!ということを語ります。基本的にネタバレあり。コメントご自由にどうぞ(^^)d

ヴァイオレットとギルベルト少佐

 

 

ヴァイオレットはプリズムみたいな子。

ヴァイオレットを通すことによって考え方を変えられたり、救われたりと、世界が違うように見える…そんなキャラクター。

 

(石立太一監督 インタビューより抜粋 )

 

 

 

ヴァイオレットとギルベルト少佐は

( 彼らを含む )人間の悲惨さの最中で生まれた、泥中の蓮みたいな人たちだなと思う。

 純粋で剥き出しの原石みたいな人たち。

 

純粋さが故に傷つきやすく傷つけやすい繊細さ。

ヴァイオレットは純粋なサディストだったし、ギルベルト少佐はどこまでも内省的なマゾヒストだった。

 

特に彼らのそういった性質が美しく現れたのは、ブローチのシーンだろう。


自分のプレゼントしたブローチを着けたヴァイオレットを前に、ギルベルト少佐が項垂れているシーン。



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自分の瞳( 同じ色のブローチ )とヴァイオレットの瞳との3つの瞳がまっすぐギルベルトを見つめる。

ギルベルト少佐はヴァイオレットを通して自分自身を見つめている……そんな印象を受けた。

彼女がブローチを着けることで、それがよりはっきり視覚化されたことによって、鮮明に自分の罪を悟らされたのだろう。

 

ギルベルト少佐はとても内省的である……。

もちろん彼と同じ瞳の色であるエメラルドの宝石も、限りなく澄んではいるのだが、

本当に純な美しいものは、どんなに美しいものによっても触れてはならないものなのだ( ……と純な人ならそう思うだろうし、そういう態度をとるだろう )。

 

そういうとき、人は大きな罪悪感を得る。自分が消えてしまいたいと思う。美しいものが美しいままでいてほしいと願わずにはいられない。

 

ギルベルト少佐はそういう心境だったのではないだろうか……

 

※とまあ、当たり前というか考察するほどのことでもないことを書いてしまいマシタガ……

ヴァイオレット・エヴァーガーデンは、もちろん各話、涙なしには観られないけども、

私にとっては周りの人々の話は、あくまでヴァイオレットが心を取り戻していく過程のエピソードにすぎないので( とはいえ毎話泣く )、

ヴァイオレットとギルベルト少佐の2人のことが最重要項目であり、

なかでもこのブローチのシーンは際立って純粋で傷つきやすい雰囲気がとてもお気に入りなのです……。

 

 

※補足。

ヴァイオレット・エヴァーガーデンは、超純度高めのアニマとアニムスの壮絶な闘いだと思うと楽しい。

ギルベルトとその兄の顔が似ていて、この2人の言い分をヴァイオレットが頭のなかで混同してしまうところなどは、

女性( ヴァイオレット )の中にいる複数のアニムス像として現れている。

 

また、純度高めの人たちの内面を描こうとすれば、多くの場合、現実世界は戦場と化す。しかし、そういった作品で描かれるのは” 戦争の悲惨さ ”ではなく、あくまでも” 人間の悲惨さ ”である。

ヴァイオレット・エヴァーガーデンは、” 人間の悲惨さ "から” 永遠 ”と” 祈り ”へと繋げたアニメだったと思う。