群青とセピア

夕泳と申します。作品のこういうところが美しい!ということを語ります。基本的にネタバレあり。コメントご自由にどうぞ(^^)d

結界 その②

 

前の記事の続き。

 

人は人にとって、強力な"要石"である。

 

要石とは、物事の支えとなる大切な事柄や人物(WEBIOより)。

また、陰陽師が結界を張るときに使う道具のひとつでもある。

 

 

太古の人々や未開民族が人間を生け贄として神に捧げることと

文明社会で誰かが知らない間に生け贄になっているのとでは、

どういう違いがあるのか。

 

 

実際に起きていることを地下へ封印して無かったことにしている現代社会は、未開民族の生け贄の儀式よりもひょっとすると質が悪いのではないか。

 

人や物をエネルギーとして捉えたり、気の流れなどを意識していると、何が本当のことなのか分からなくなってくる。

はっきりしているのは、本当のことなんかひとつもなくて、人は呪(しゅ)で人たらしめているということだ。

 

「この世で一番短いとは、名だ 」

 

 

夢枕獏さんの「 陰陽師 」シリーズの名セリフである。

 

陰陽師 (文春文庫)

 

ユングの元型論では、地上にあるものはすべて、底の方では繋がっていることを学んだ。

 

しかしそれがいったん地表に出れば、もちろん「みんな同じ」わけでは消して無い。

底の方で繋がっているからこそ、地表ではさまざまな境界線があり、生命はそれに縛られていて、守られている。

 

 

 

最近「 日本の結界 という本を読んだ。

 

日本の結界 陰陽師が明かす秘密の地図帳

 

日本各地の、実際に陰陽師たちが張ったとされる、結界がある場所の大まかな紹介を、

気の流れ(地の脈、龍の脈)や結界の考え方などと合わせて書かれていた。

 

この本によれば、

"結界"の概念は

はじめは区切る"ことだけだったのが、

時代が進むにつれ

"封印して区切る"ことの2つがセットになって指すようになったという。

 

封印して結界

私はこのことについてここ数日考えている。

まだまとまったわけではないが、頭の整理を兼ねてこのことについてごちゃごちゃと書いてみようと思う。

 

封印も結界も、混沌を秩序立てることだ。

しかし、

生命は混沌と秩序の間の緊張感のなかで誕生する。

縛りすぎても緩すぎても、生命は持続し得ない。

結界はそのピンと張った緊張の糸で張られているとイメージしてもらえば分かりやすいだろうか。

混沌と秩序の緊張感が崩れれば、結界も崩壊する。

 

こんとん

 

例えば

平穏を乱しかねない、強すぎる力は

混沌としたまま、地上に蔓延らせているわけにはいかないので

封印して結界を張ることになるが、

そうして封印された力は"神"として寺などで祀られる。

 

人の心に眠っている"鬼"などもこのような大きな結界(寺など)に影響を受けて鎮められているともいえる。

 

寺でなくても、"結界"は日常の至るところに潜んでいる。

例えば、

家はプライベートを仕切る"結界"だし、川はあちら側とこちら側を区切る自然の"結界"で、歌も立派な結界(呪)である。

 

人を神に捧げて結界を創成する未開民族を称賛するわけでは消してないが、

人のうちにある力の流れについて熟知していて、生け贄という儀式の形で罪の意識をはっきりと示す彼らと、

あれよあれよのうちに、有り難みもなく社会に淘汰され(実質生け贄にされていく)現代社会の人の命の重みの、この違いは何なんだろう。

 

 

ではでは今日はこの辺で。

最近よく聴いている曲を紹介して終わります。

またね。

 

 

 

 覚醒 / music&movie かしこ / vocal 腹話