群青とセピア

夕泳と申します。作品のこういうところが美しい!ということを語ります。基本的にネタバレあり。コメントご自由にどうぞ(^^)d

こみねゆら

誰もがそうだとは言わないが……

 

自我は心のなかで母親を殺すことで芽生える。

それまでは器として生きる。

ちょうど卵に包まれたまま生きているのと似ていて、目は閉じられている。

 

これに関してフロイトユングの言っていることをまとめれば、

女性は、あるときまでは母親を生き、

男性は母親に囚われ(父親には多かれ少なかれ反発心を灯し)て生きる。

 

しかし彼らは心のなかで母親を殺したとき、二度生まれる。

卵の殻を破るのだ。

 

 

こみねゆらさんの絵本は、作品全体の印象として「二度生まれる女性」をテーマに描いているように思う。

 

オルゴールのくるくるちゃん (講談社の創作絵本)

「オルゴールのくるくるちゃん」はある少女のもとから人形(くるくるちゃん)が離れ、数年後、同じ女性のもとへ返ってくるまでの物語だが、

ここで描かれる人形(くるくるちゃん)の半生は、持ち主である女性の半生といっても良いだろう。

こみねゆらさんの寂しげな絵柄で描かれるくるくるちゃんの半生は、どこか浮いていて生きづらさを感じる。

くるくるちゃんの身体はどんどん軽くなり、いよいよ自分という魂の重みが抜けていき、風にさらわれてしまう。

そんなくるくるちゃんを拾い上げたのが、もとの持ち主である女性だった。

 

自分を生きることは自分を許すこと。

最後には器だった自分の半生(くるくるちゃん)を受け入れた女性は本当の意味で自分を解放できたのだ。

 

 

ミシンのうた (講談社の創作絵本)

 

「ミシンのうた」や「もりのちいさなしたてやさん」も、器としての女性、人形としての女性(または母親を生きる女性)を自然へ解き放ち、本来の自分を生きる旅へ出るまでの物語だ。

 

もりのちいさなしたてやさん (らいおんbooks)

 

こみねゆらさんの絵柄は人を選ぶかもしれない。

よく言われるのは「人形みたい。身体が細い」。

しかしまあ、そりゃあそうなのだ。

だってこの作家さんは人形を描いているのだから。

人という人形をね。

 

こみねゆらさんの描く人は人形のように表情がなく、寂しげで頼りない。

しかし彼女は別にそれを卑下して描いているのではなく寂しさのなかに柔らかいものが隠れている。

 

冒頭で「自我の芽生えは心のなかで母親を殺すこと」と書いたが、それが難しい人々もたくさんいる。

私もそうだし、恐らくこみねゆらさんもそうだったのではないかと作品を読んでいて思う。

 

こみねゆらさんの作品は、そういう人たちに対する穏やかな暖かい目線を感じるのだ。