群青とセピア

夕泳と申します。作品のこういうところが美しい!ということを語ります。基本的にネタバレあり。コメントご自由にどうぞ(^^)d

さらざんまい ケッピについてなど

「さらざんまい」について4つめの記事になる。自分でも驚きだ。

恐らくいちいち書かなくても、「そんな常識だれでも知ってるぜ」と言われそうだけど…

書きたくなるのが私。

 

「さらざんまい」での「尻こだま」とは、個、生命、縁、運命、ボール、欲望……など様々な意味にとれるが、

その「欲望」を境界を越えて投げ入れることで外界と欲望を繋げれば、新しい自分になって帰ってくる。生きるとはその連続なのだというアニメだった。

 

「欲望」を境界を越えて投げ入れる……

と考えていたら、「神社の投げ銭」を思い出した。

運命の輪のような「五円玉」、即ち「欲」をお賽銭箱に投げ入れ、鐘を鳴らして礼拝する。

※少し気になるのは、「鐘を鳴らす」行為が「煩悩」を呼び起こす行為だとすると、欲を投げ入れる前に鳴らす方が辻褄があうのでは?と思う(宗教に詳しくないので詳しいことが分かりません……知っている方がいましたら教えて下さい🌸)

 

またイソップ物語の「金の斧」も連想される。

古い斧(欲望)を川に落とし、女神に煽られても、欲望を捨てれば恩恵が与えられると。


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まあ、その欲望を解消する行程が難しいのだが……。

 

話は変わって今日は

ケッピについて書きたい。

 

 

1話にてケッピは、きゅうりで頭の皿を鳴らしながら、「グッドモーニング!!」と登場する。


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周囲の「ア」という文字は「あ うん(の"あ")」や「愛」などを意味するという説は、どの考察サイトでも書いているので置いておくとして、

ケッピの行動に注目してみよう。

河童の神様が

"生命そのもの"を表す"河童の皿"を鳴らして「おはよう」と叫んでいる。

つまり、

尻こだま(魂)を抜かれ、亡霊のように生きている人々に向かって

生命エネルギー、即ち"煩悩"の音を鳴らして(呼び起こして)、「目覚めよ」と言っているのだ。

 

登場シーンだけでもかなり仏教的だ。

 

ケッピには白ケッピと黒ケッピがいるが、

同じ「白と黒」でも、以前記事で書いた人間の場合の「白と黒」とは少し異なる。

ケッピは人間でなく神のようなものなので、思想や概念に近いのだ。

 

ケッピの場合は「神と悪魔」で考えると分かりやすいかもしれない。

 

神(白ケッピ)は愛で満ち足りているから与えられるが、

悪魔(黒ケッピ)は愛に餓えているので吸収しつくす。

 

このアニメで前半は

カズキたち人間の意識において「神と悪魔」は「白ケッピと黒ケッピ」に、

「善と悪」にはっきり分裂してしまっている。

 

しかし

悪魔はもともと天使だったのであり、

神にはそもそも善悪という概念はない。

本当は、神も悪魔も同じひとつのものなのだ。

カズキたち人間がそのことに近づいたとき、

最終回で

「白ケッピと黒ケッピ(即ち善悪)」が融合し、悟りを開いている。

 

 

「さらざんまい」と「セーラームーン」は少し似ている。

どちらも愛が欠如して暴走している者を相手に闘っているが、

セーラームーン」は戦士たちがそもそも愛に溢れているので、「ヒーリングエスカレーション!」とか必殺技を使えば相手を癒すことができるのだ。

でもこれは、愛されて育った人や女神のような超人ならではの話だ。

愛に餓えた私にはちょっとよく分からない(エディプスコンプレックスとか、よくできた話だけど)。

 

それとは異なって「さらざんまい」は

愛に餓えている人や欲望に溢れた凡人が闘う話だ。

欲望に溢れた者同士が闘うので、闘うというよりは、

相手の欲望に自分の欲望をみる、という鏡のような作用が起こる。

相手を変えるというより、同時に自分を変化させるのだ。

 

それではまた!