群青とセピア

夕泳と申します。作品のこういうところが美しい!ということを語ります。基本的にネタバレあり。コメントご自由にどうぞ(^^)d

カードキャプターさくら 考察その2

きっといちいち考察なんかしなくても、みんな頭がいいからそれぞれ解釈をしているだろうし、私がここに書いているclampの考察はすべて私の独りよがりな解釈なので、寝言だと思って暇潰しに読んでくれれば…と思う。

 

さて、以前書いた記事で「カードキャプターさくら」は、さくらちゃんが素朴にばら蒔いてしまったクロウカードを集める、復権の物語であるということを書いた。

そしてこのクロウカードは、ユングでいうところの、「無意識に沈む、生きてこれなかった自分≒抑圧の因子」を表し、さくらはこれを客観視(カードが起こすトラブルを認識)し、杖で封印する。

「汝のあるべき姿にもどれ!」

この呪文は本来の自分に戻ることを示唆しているように思われる。

 

カードキャプターさくら(12)<完> (KCデラックス)

 

clamp作品の包まれるような優しさは、例えばさくらちゃんが目に見える問題児として描かれないところにある。

 

現実では抑圧が著しく大きい人ほど、周りの人々から疎まれる存在になってしまう。

しかし、clampは疎まれる存在に対して、「なぜ周りを困らせる?周りを困らせるあなたが出来損ないなのだ」とは言わない。

むしろ「本当のあなたは優しいのだから、輝いてほしい」という姿勢なのだ。

 

 

さくらちゃんがカードをばら蒔いたときに唯一手元に残っていたカードに注目してほしい。

手元にあったカードはさくらちゃん自身が生まれ持つ性質のようなものだろう。

それはウェンディ、風のカードだ。

このカードの性質は温和で優しく、争い事を嫌う性格である。さくらは他のカードを獲得していくなかで何度もウェンディに救われる。

 

 

さて、最後にカードキャプターさくらの世界観について考察してみる。

さくらの魔力の原因は、世界の創造主(クロウ)が"最強の魔力を持たない人間になりたくて"魂を2つに分けたことから始まっている。

しかし魔力を正常に2つに分けるのは、クロウだけで果たせることではなく、世代を越えてクロウの力を凌駕する者(さくら)に手伝ってもらわなければならなかった。

 

ここからが私の解釈。

 

この2つに分かれた魂は"陰陽"で考えると分かりやすい。

f:id:psychocats:20191218104040j:image図1

陰の方がエリオル、陽が藤隆とする。


f:id:psychocats:20191218104332j:image図2

エリオル(陰)は魔力を持ち、本体(クロウ)の記憶を引き継ぐ者であり、藤隆(陽)は魔力を持たず、本体の記憶を持たない。


f:id:psychocats:20191218104635j:image図3

そこでさくらちゃんが(抑圧を意識化≒自己実現)することでエリオルが藤隆に魔力を半分与えることが可能となり、クロウの願いは果たされる。

図3を説明すると…

はじめは、

エリオル…最強の魔術師。力を持つことは色々大変。

藤隆…身元不明のまがいもの。

 

そして魔術を半分に分けることにより、

エリオル…人並みに近づいた。

藤隆…冥界に通じるようになった(妻、撫子さんの姿が見えるようになった)。

 

また、藤隆の職業である考古学者は、人類の歴史、生命の謎を研究することで、これは彼が身元不明であることから由来するものと思われる。

 

魔力を持つと色々大変というのは、集中型と発散型で考えると分かりやすい。
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陰は集中型、陽は発散型である。

陰は魔力を持ち、ネガティブ要素もあり、周りの力を引き寄せてしまうので、トラブルも引き寄せがちである。

 

このような「魂を陰と陽の2つに分ける」考え方は「ゲド戦記」に近いかもしれない。

ゲド戦記の主人公は自ら影を作り出してしまい、その影に苦しめられるのである。f:id:psychocats:20191218111201j:image

また、真の名についてなどclamp作品にはゲド戦記の世界観が取り入れられているところが見られる(けど多かれ少なかれこういう要素はどんな作品にも見られるかも笑)

似ているなー程度ということで。

(追記)「ゲド戦記」より夢枕獏著「陰陽師」やギリシャ神話などの方が原点に近いかも?

 

ゲド戦記では、影を作り出してしまった原因ははじめから終わりまで自分にあるという考え方なのだろうか(?読んでいないので分からないが…)。それは正確だし、事実そうだといえる。

現実でも何らかの問題がある人は、すべての矛先がその人に向けられ、悪者にされがちだ。悪者の本質は悪そのものではないのに。

 

カードキャプターさくらの世界観には、一人の罪を一人だけに背負わせない寛容さがある。

さくらの魔力が強い原因を、世代に渡る運命として描き出したのだ。

これは、河合隼雄先生が言う「一人の人生はその人自身だけで完結できない」ところもあるのでは…という言葉に通じるものでもある。

 

最強の力を持つことは、エリオルによれば「孤独で、未来までみえてしまうのは愉快なことではない」という。

完璧な人間は面白くない。だから欠けているのだ。だから愛しいのだというメッセージが読み取れる。月並みだが、結局はそうなのかもしれない…。

 

今回はこの辺で。