群青とセピア

夕泳と申します。作品のこういうところが美しい!ということを語ります。基本的にネタバレあり。コメントご自由にどうぞ(^^)d

ナルニア国物語

 

 

私がまだ、夢と現実がひと続きだった学生時代のころ

外部から私を守ってくれたのはファンタジーだった。

家も学校も窮屈だったあのとき夢中になって読んだ本があった

それが「ナルニア国物語」である。

 

銀のいす (ナルニア国ものがたり (4))

 

ナルニア国物語」は子供向けの聖書だとか、善と悪の闘いだとか所説あるが…。

たしかにアスランの存在は、私の幼い心に、キリストに似た安心感を与えていた。

しかし、とにかく現実世界から隔離され、物語の中で自由に歩き回ることが目的だった私にとっては細かいことはどうでもよかったらしい。

本当のファンタジーであれば十分だった。それを踏まえると

ルイスにとって、宗教の教えは物語を書く材料の一部でしかなかったのではないかと私には思われる…。

 


ナルニアのエピソードを例に、本当のファンタジーについて書いてみる。

 

 「銀のいす」では、

ジルとユースチスが行方不明の王子を探すため、アスランから道しるべとして4つのしるべを教わるが、

最後にアスランはこう付け加えている。

 

「あんたがここで教わったしるべは、あちらでそのしるべの一つ一つに出会っても、それらしく見えるとあんたが思い込んでいるようには、絶対に見えないだろう。だからこそ、そのしるべを心で知って、見せかけにはだまされないことが、とても大切なのだよ。」

 

つまり、起こってくる物事のイデアはひとつずつあるのだが、その現れ方は異なってくると言っている。

 

なるほど確かにイデアはいくつかある。

しかしイデアは現実世界では、そのままの姿で見えているのではなく、水に放り込んだものを水面を透かして見ているような状態で見えている。

しかも光の屈折で様々な錯覚を起こしている…。

(ちなみにこの錯覚の現象を利用したものがファンタジーだと個人的に考えている。)

 

現実で見えているものが錯覚なら

連想や比喩などを用いるファンタジー

現実をもっと現実らしく描いた物語なのではないか…。

 

 C.S.ルイスにとってナルニアは、街灯のようなものだったのではないだろうか。

ルーシィが衣装だんすを通ってナルニアへ呼ばれたとき、はじめに見つける街灯だ。

冒険が始まる前にルーシィが捉える前方の明かり(街灯)は、希望を意味していたように思える。