ペパミンめも

名前を改め、ペパミンと申します。最近は心理学に興味あり。

ユング心理学入門

 

 

人は自分の中にある、許せていない自分を許す必要に迫られるときがくる。

抑圧として無意識に沈んでいる、許せていない自分を上手いこと統合しなければならないときが。

 

そのときがいつ来るのかは誰にも分からない。

程度も様々で、軽々と乗り越えられるものもあれば、経験不足で、さらに抑圧が酷いときは、統合する過程で精神の異常を来すときもある(神経症分裂病として表に出てくる)。

 

言い換えれば、現実で人と摩擦が生じたり、神経病を患ったりするときは

自分と向き合う必要があるからそうなる(トラブルが起こる又は引き寄せる)のだとも言える。

 

このように人間が精神的に成長するとき、

前進するには後退が必要なときもある

 

絵画のデッサンに例えて

デッサンは、あるところまでは描けるのだが途中でどうしてもつまらない絵に思えてくる(筆が止まる)。そこでまた新たな技法かなんかでやってみると、一度画面が崩れてしまう(後退)。

しかし続けて描いたり消したりしていくうちにだんだんと調和を取り戻していく。

そして前より深みが増したデッサンになる(レベルアップ)。

 

 

心に意識と無意識を発見したフロイトは有名であるが、その弟子にユングというスイスの精神医学者がいた。

今回はそのユング心理学を日本に初めて広めた河合隼雄先生の『ユング心理学入門』の感想を書きます。

 

ユング心理学入門 河合隼雄

ユング心理学入門

 

 

精神医の患者は、1人の医師につき似たような症状の患者が集まるというが、

フロイトの患者は神経症が多い傾向があり、

ユング統合失調症が多い傾向があったという。

 

ペパミン自身は分裂病に近い(境界例)心の状態にあると思うのでユングを中心に心理学を学んでいこうと思った。

また子どもの文学を研究するにあたり、児童文学作家の傾向である、大人になっても子どもの心を忘れない(子どもの頃のトラウマを引きずったまま)心の状態を解明するためにも、心の中の矛盾や抑圧について学ぶにはやはりユングが適切だと思った(フロイトも後々読むけどね!)。

 

さて、心の病を研究するとき、

病んでいる患者の心の現象を把握する治療者もまた、心を持っているのでここに矛盾が生じる。

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流動的なものを流動的なものでみるので、

心の問題は"物理と精神のどちらに割りきることなく矛盾を持ったそのままを心の現実としてうけとって"いくことになる。(本文より)

 

これはとても神経にこたえる仕事だ。

 

私自身、カウンセリングを受けているのだが

お世話になっている先生は恐らくユング派なのではと個人的にみている。

先生は患者である私の話にひたすら自然に耳を傾けてくださり、ほとんど干渉はせず、だからといって聞いているだけではなく必要なときに絶妙なタイミングで一言三言口を挟むくらいであるが、それが私にとってとても調度いい、新たな気づきに導かれる言葉(や態度)だったりするのです。

 

 

この本を読んで驚いたのは東洋と西洋の心のしくみの違いを書いている章です。


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上の画像は、心を無意識(心の大部分を占める)と意識(小さな楕円の部分)に分けて考えた心の図面です。

意識と無意識の中心にあり、無意識に埋まっているのが自己、意識の中心にあるのが自我と仮定しています。

これが基本的な心の構造だとすると、東洋と西洋では次の画像のようになるらしい。


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"西洋人は自我を中心として、それ自身ひとつのまとまりを持った意識構造をもち、東洋人はそれだけではまとまりを持っていないようでありながら、実はそれは意識の外部にある中心(自己)へ志向した構造を持っている"

"この自己の存在を念頭におかない場合、このような構造は中心を持たないものと思われ、多くの西洋人が日本人(東洋人)の意識体型を不可解なものと思うのもこのため"(本文より)

 

西洋では無意識を切り離して意識の自我を重視する(合理的社会)ので白黒はっきり、影(無意識)ははっきり悪だという傾向があり、

東洋は意識と無意識の境界が曖昧で、影の中に微かな光を見出だして生きてきた人が多いという(そのため不安定なものに美を感じたり自然のままを受け入れることが易い。しかし自我がなく自分の身体も大事に思えないので自殺も多い)。

 

※もちろん東洋と西洋で分けるのもどうかと思いますし、現在ではまた変わってきているとは思いますがそこは一旦置いて、そういう傾向が昔はあったのだという程度で聞いてくださいな。



私は自分のまわりには(日本には)私よりももっときちんと(自我が確立)した人が多いように思っていたので意外でした。

東洋人の心の図を私なりに書き直すとこうなります↓

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大部分を占める無意識は一般に水を意味するので、無意識を水中または夢として、意識が現実世界だと表すと、

現実と夢の境界が曖昧なので

もしかして日本には現実でも夢をただよっているような人が多かったのでは?と思えてきた…。

 

まあ現実的な話をすると、戦後の日本はアメリカなど西洋の文化を急速に取り入れたので(合理的社会に適合した)意識の中の自我を急速に作り出さなければならない人が急増したものと私は予想する。

しかし私たちの親世代までは急速に自我を生成しなければならなかった代償として、無意識の中の自分を置き去りにせざるをえなかったのではないか。

 

そこでユングの二律背反が現実世界にも生じ、私たちの世代は逆に、無意識の中の自己を重んじる子どもが増えたのではないか…?そんな気がするのです。

 

夢か現実か既に忘れたが、私は小さい頃、プールの水に溺れて底まで沈んだとき、何故か感覚では息苦しくなく、上を見ると明かりで光る水面がきらきら揺れていて(ずっと水中にいたい)と思ったことがある。

前述したように、水中は無意識を意味する。

 

このように考えると(?書いている私も何を考えていたのか分からなくなってきた😂)私たちの世代で人間の本質とは何だったか、もう一度考え直す必要が出てくる問題が生じてきている気がする(引きこもりなど)。

 

ユングの学説で特に個性的なのは『元型』が挙げられる。

錬金術師やUFOなど少々オカルトチックなので勘違いされそうだが、統合失調症を多く診ていれば、神経症よりも混沌とした、心の奥深いところに帰すような病気を相手にすることだから、人間の本質に近いとも言えるギリシャ神話とか民俗学的な道に近づいていくのも自然なことといえば自然なことと思える。

 

ユングはこれらのことを盲信するというよりは、源泉に立ち返って体験し研究する目的であったと思われる。

 

そういうわけで面白そうでもあるし(だって錬金術とかUFOだよw)

私も少々その世界をユング先生の著書と共に覗いてみようと思う。

アニマアニムスの話とか意外と面白いんだよー。

 

ギリシャ神話をはじめとする、物語の意義についても触れていたので、それについて書きたかったけど長くなったので今回はここまで!

いやー心を扱うので感想も分かりづらくなったなあ。すまん。

またね!