ペパミンめも

名前を改め、ペパミンと申します。最近は心理学に興味あり。

大人に贈る子どもの文学

 

こんにちは。最近コーヒーを飲むと眠くならないので(飲み過ぎる)控えるようにしたペパミンです。

 

さて今日はこの本の感想を。

 

 

大人に贈る子どもの文学

大人に贈る子どもの文学

 

猪熊葉子さんは主に古典童話の翻訳家さんです。

秘密の花園』や『海のたまご』などペパミンが個人的に大好きな児童文学を訳してくれた方なので、かねてから読みたかったエッセイです。

 

 

猪熊さんもそうだったように、古典の名作と呼ばれる児童文学の作家は、その多くが『子ども時代のトラウマを大人になっても抱えていた人』であり、その名作は作家自身が子ども時代への償いとして書かれたものだという。

心が子どものときから時が止まったまま大人になったので、もう一度子ども時代へ帰る必要があったとでもいいましょうか。

 

 

ゲド戦記で例えていうなら、人は自分で産み出してしまった影と生涯を通じて一体化するものだと私は思うのですが、

それは環境などに恵まれれば、子どもの時に一体化できるけれども、何らかの悲しい(どうしようもない)要因で子どものときに一体化できず、そのまま大人になってしまうと、子どもの気持ちを強く抱えた大人になるのだろう。

 

そういう、心に子どもを兼ね備える大人は、一方では非常に辛い経験もあるだろうけれど、それだからこそ、大人の目線と子どもの目線の両方で描かれた優れた古典童話を産み出せたのだと思うのです。

 

子どもに大人の身勝手な夢を託したり、純粋さを押し付けたり、脅したり説教したりするわけではなく、

そこには、子ども(作家自身がかつて子どもだった頃に帰る)に対する深い洞察力と感受性があるのです。

 

 

古典童話と作者の子ども時代のトラウマについての関係性は、前々からよく知っていたのですが、改めてその傾向が強いことがよくわかりました。

しかし、幸福な子ども時代を過ごした作家が書いた名作も存在します。

私自身、アダルトチルドレンなので、そういう幸福な子ども時代に恵まれた(たぐいまれな性質も持ち合わせたのでしょう)、人生の早くに影と一体化できた人のことは分かりようがないのですが、

恐らく、それはその人にとって子ども時代が『幸福』すぎてもよくないし『不幸』すぎても早くには、影と一体化できないだろうと思うのです(ですからプーさんの作者AAミルンは『幸福な子ども時代を過ごした』とは書かれていますが、甘やかされ過ぎて育ったととってよいもののように思われます)。

影と一体化するとは、自分の中にある影も光も受け入れることによるので、

影も光も自然と受け入れる行程が必要です。

このどちらも過不足なく受け入れることができた子どもは、早くから達観した大人に育つのでしょう。

ですからそういう人は周りを見る目、見えないものを見る目があるので、優れた児童文学を作り得たのでしょうね。

 

 

子どもと古典童話、そして精神世界が私のテーマなのかなあ…。