ペパミンめも

名前を改め、ペパミンと申します。最近は心理学に興味あり。

心理学入門

 

こんにちは。

社会に出て色々なことに支障が出てきたサイコキャッツです。

過去のトラウマや、それによる抑圧で自分自身を許せていなかったことに気づいたサイコキャッツは必要に迫られ、心理学を独学することにした。

まず手始めに父の書棚から掻っ払ってきたのがこの本。

 

臨床ユング心理学入門

臨床ユング心理学入門 (PHP新書)

学術的なことは表面を撫でるほどしか記載されていないが、これまでの私自身の苦しい体験を裏付ける内容だった。

 

 

『無意識』の範囲に抑圧が溜まり、それが溢れることで表面に表れるのが神経症や躁鬱などの病であること。

 

これは過去のトラウマを認識し、受け入れることで克服ができるのだと。自分が知らない間に、何に『抑圧』をかけてきたのか。

 

自分が向き合えていなかったトラウマを正面から見つめることが、自分が自分を生きていくこと(前向きに生きていくこと)に必要なプロセスだと。

 

また、自己実現の過程で多くの人が体験する『夜の海の航海(ネキュイア)』についての記述も興味深い。

"『ネキュイア』とは心が暗闇の中に陥って、出口の光が見えず、長らく低迷する状態。しかしやがて闇の世界を脱出する。"

 

これは私自身にも身に覚えがある。闇の中を数年間たゆたうことで、やっと向こうに光が見えていることに気づいた経験がある。

闇を見る必要はない、そんなのは無駄なエネルギーだと言われることもあるが、それは心に闇が無い眩しいくらいの健常な人(そんな人いるの?)か、未だに自分のトラウマを直視できず無理して前を向いている人たちの意見だと私は思う…。

 

いちばん辛いのは変化のない状態が続くことで。変化の兆しは、一度悪化する状態から始まるのではないだろうかと…。"『悪くなる』ことは『まだよくなる可能性がある』という意味の裏返しである"と山中先生は書いている。

 

過去のトラウマを認識できれば、一度や二度(またはそれ以上でも)落ちるだろうが、それを客観視し、自分はこれを我慢していたんだな、きつかったね、よく頑張ったね…と過去の自分(延長線である今の自分)を許せる(受け入れる)から…。

 

ただ、過去のトラウマは自分が知らない間に無意識に閉じ込めてしまっているものなので容易には気づかない。そもそも向き合いたくもないのでどうにかして回避するものなのだ…。ただ、ヒントは沢山あるのでそれに気づくのはやっぱり自分次第でもあるかな…。

 

"過去の自分の対人関係を振り返って、嫌いだった人、避けてきた人、うまく付き合えなかった人について考えてみる。そうすると、その人たちの背後に、生きられてこなかった自分の姿、自分の抱えていた劣等感コンプレックスが見えてくるはずである"

 

 

 

 

話は変わり、ユングはどうやらアダルトチルドレンでもあったそうな。

筆者の考えもそれと似たところがある。

"彼らの成長の過程で、彼ら本人の理由というより周囲との関係性の問題で、自分が自分であるという基盤(アイデンティティ)を内界にうまく形成することができなかった(中略)そのため学校などで自分が自分であることを要求されると、彼らは非常に困った事態に陥ってしまう。そこで、先にその事に気がついた彼らの無意識が、まず内界の仕事が先であるとして、エネルギーの方向を内側に向けてしまう。"

"関係性の病理というのは、一代の母子関係だけで完結する問題ではない。たとえば母親がその母親とよい関係性を築くことができないまま子どもを持った場合、過去の関係が子どもとの関係に影響を及ぼすことも十分に考えられる"

"一人の人間の生というのは、決して一世代で自己完結するものではない"

 

しかしこれは母親だけの問題ではなく、その家族自体が社会や時代の歪みの犠牲者であると書いてある。

 

私自身アダルトチルドレンであることを認めざるを得ない状況に陥っているので心理学と同様、アダルトチルドレン毒親についての知識も深める必要がありそうである。

 

また、ユングは幼少期の早い段階で荘子の『胡蝶の夢』のような思想をしていたようで、そのことにも個人的に親近感を持った(私の場合、仕事が辛すぎて『仕事が宇宙(夢)でプライベートが現実』と空想していたら高校のときに習って覚えていた『胡蝶の夢』を思い出して荘子を読み始めたという何とも言えない動機だが…)。

 

 

 

さてさて、これからのことを書こう。

過去の体験を整理しつつ、いつまでも過去に囚われるわけもいかないので、どうやってそれを受け入れていくか、前を向いて生きていくか模索しつつ、ユングフロイトアドラーなど著名な心理学者の本を読んでいくつもりである。

あとは行動。頭で考えるより実際に体験することの方が得られる情報量は多い。目に見えることよりも目に見えないことの方が多い。

ちなみに私個人は意識と無意識の割合は、無意識の方が大きいのではないかと思う。

これからの作業としては、無意識に眠っている本当の私を見つけていくことではなかろうか。

私が私を生きていくために。少しずつでも私が私を許していけることを願って。